【インタビュー】ダックエンジニアリング 全てはお客様のために~50周年を機に経営をバトンタッチ
良品生産から自動化支援見据える
検査装置のダックエンジニアリング株式会社は1973年の創業から昨年50周年を迎えた。画像処理の核となるハードウェア、ソフトウェア、光学の技術を組み合わせた同社の製品は他に類を見ないスピードと正確性を持ち、オフセット印刷をはじめ、軟包装、ラベル、段ボール、金属など多方面の領域に幅広く採用されている。昨年9月には、氷上好孝氏が代表取締役会長に、髙城清次氏が代表取締役社長に就任。ツートップ体制の新たな経営体制のもと、AIやIoTを活用したDX支援を見据えている。(文中内 敬称略)
――氷上会長に創業50周年という節目に髙城社長へのバトンタッチを決断した経緯についてお聞きします。
氷上 昨年9月に打診して以降、1年間は社長と専務として二人三脚で準備してきました。昨年9月からはツートップ体制となり、私よりも10歳若い髙城社長に経営を担ってもらい、私は引き続き技術面を見ていきます。髙城新社長は大学の後輩で38年来の付き合いとなります。
当社では私が中途入社で40年、髙城社長が新卒で38年のキャリアを積んできました。入社してまもなく会社が倒産し、私は社員代表で会社の再建に携わってきました。以来、前会長と無借金経営を進めて健全な経営体制を作ることができました。
この40年間、技術はものすごく変化しました。当社はもともと技術集団で、倒産前に所属した180人の大半が技術者でした。東大、京大を卒業した優秀な技術者を抱え、当時、世界に先駆けて画像処理技術を利用した自動走行ロボットなどを開発しています。
私は社長に就任当初から次代の経営者育成を意識してきました。背中を押したのは兄からの「トップ交代は誰からも言ってくれないぞ」という言葉です。あと2年で70歳になるので、そのタイミングで、とも考えましたが、50周年の節目に代わろうと決断しました。
変化が速い時代、ダックエンジニアリングのためにどうあるべきかを考えれば、当然の結論といえます。
「お客様の満足」。髙城社長は、私が大切にしてきたこの言葉を引き継いでもらえる人物だと認識しています。何より粘り強く、律儀な人柄と38年間の信頼関係が大きいですね。
――髙城新社長のご経歴を教えて下さい。
髙城 私は1985年の入社以来、開発畑を歩んできました。ダックエンジニアリングには電子回路の設計に携わりたいと入社し、希望が叶い開発者としての一歩を踏み出しました。しかし、ハードウェアを勉強していた入社2年目に会社が倒産し、社員が180名から26名に減りました。自分の進路について悩んでいたところ、氷上会長から「一緒にやろう」と声を掛けて頂き、自分がこの会社でどこまでできるかトライしようと決意したことを今も鮮やかに覚えています。
当時はエリアカメラを使った検査システムが主流でしたが、ライン上に流れる連続シート印刷物検査には限界がありました。そこで、ラインセンサーカメラによる検査機のVLシリーズに携わり、当社のロングセラーとなったカラー検査機のシンフォニーまで、同士と共に心臓部であるハードウェアの開発を担いました。今は社内で徹底的にバグを出さないようにしていますが、その頃は現場でプログラムを書き換えながら不具合を取り除くことがありました。現場でお客様に鍛えて頂いたと感じています。
氷上 京都はものづくりがしやすい風土で、ベンチャー企業が育つ土壌があります。技術者にとって天国といえる土地柄で、当社も創業時から独創性が高い技術を輩出してきました。その一つがソフトウェアよりも1万倍も処理速度が速いハードウェアから開発していることです。もちろんソフトウェア構築や光学設計も自前です。この3本柱がダックエンジニアリングの強みです。
1995年のシンフォニーの開発では、横浜の公衆電話から髙城社長に「ラインセンサーを作ってくれ」と一報を入れると、一晩で作り上げてくれました。本当に感動しましたね。新幹線で会社に帰るともうできているのです。そのスピード感に当社は本当にベンチャーだなとつくづく感じました。
――「社長に」という氷上会長の思いをどう受け止められましたか。
髙城 最初は自分にどこまで力があるのか、広い視野で会社を見ることができるのかと自問自答しました。当然、悩みましたが、進路に迷っていた時に「一緒にやろう」と声を掛けて頂いたこと、会社が健全になりこの場にいられることに感謝の思いが強く、恩返しすべきだと昨年9月に決断しました。
AI活用でFA支援も
――入社してからこれまで印象に残っているご苦労はありますか。
氷上 やはりラインセンサーの1号機を世の中に出すまでのプロセスですね。エリアセンサーと考え方が全く違うので、コンセプトを決定するまで大いに悩みましたし、当社はこれしか生き残れないという気持ちで取り組みました。幸いにも髙城社長が良い基盤を作ってくれて、これが当社の土台になりました。
髙城 カラー化したシンフォニーはモノクロと根本的に異なるので一からハードウェアを開発しました。集中して取り組む必要があったので、開発者は出張禁止とし、昼夜、二交代で開発を進めました。展示会への出展というゴールを決めて開発していたのですが間に合わず、会期中もホテルにこもって開発し、最終日に出来上がったことはすごく印象に残っています。
それまでの検査装置はリアルタイムに撮像した画像をモニターに表示できませんでした。シンフォニーがそれを実現したことは画期的でした。
氷上 それまでは既存のボードを改良して開発していましたが、完全にゼロから彼の実力で作らなければなりませんでした。それまでの製品は小さいキーボードによるオペレーティングでしたが、シンフォニーには誰でも使いやすいよう大きなボタンのシートキーを採用しました。
シンフォニーは爆発的に売れました。毎秒8mという高速で動いたワークの停止画像を見ることは、ソフトウェアだけでも、パソコン用のボードを重ねても無理です。ハードウェアの力がなければ実現できず、当社の強みを込めた製品と自負しています。
――今後の方向性をどうお考えですか。
髙城 お客様に喜んで頂ける製品を提供してきたからこそ、今があります。ニーズに合わない製品を開発してもお客様に満足頂けません。技術者はともすれば自己満足に陥りがちです。営業部門から伝えられたお客様や現場の声、ご要望から議論を進めて、どう開発し、どう提案するかが大事です。その継続が幅広い業界に当社の製品が受け入れられたのだと確信しています。
過去も未来も同じです。お客様の人手不足、技術承継という課題を正面から受け止めていくことがこれからの当社に与えられた役割です。検査して不良品を出さないことはもちろん、画像処理を使って自動化に貢献することが今後の方向です。そのためにも印刷機メーカー、加工機メーカーと連携してお客様の要求に応えることが重要と捉えています。
氷上 髙城社長が言うように現場が〝先生〟であり、お客様に叱られ、励まされながら成長するのは今後も変わりません。今まで当社は不良を見つけ出すことに注力してきました。これからは、色濃度や見当がずれてきていると判断したら、不良が発生する前にフィードバックし、良品を生産し続けるという方向にも目を向けていきます。すでに不良が10分の1になったというお客様の声も頂いています。
――2024年をどう展望しますか。
髙城 年明けにコンバーテック展、pageに出展し、drupa2024にも製品を展示します。そこで常に新しいことを発信してお客様とコミュニケーションし、次の展開に向けて新たなニーズを探っていきます。例えば、オフ輪の検査機が老朽化して更新に困っているという声を聞きました。そうした声を反映してタイムリーに製品を提供してきたいと考えています。
氷上 関連会社のNew IWASHOでは、センサーや画像解析技術を活用して様々なDXに取り組んでいます。例えばベテランの動きをトレースしてAIで骨格分析し、モーターでその動きを再現することで、熟練技能が必要だった作業を自動化します。既設機に搭載すれば低コストで生産機器のスマート化が実現します。ハードウェアから開発すれば特定領域に強いAIを使えるようになります。
会長になって、ようやくやりたかったことに取り組むことができ始めました。こんな楽しい時代はないですね。