凸版印刷 藤田弘道元会長お別れの会で数々の業績偲ぶ
凸版印刷は7月9日、東京都千代田区内幸町の帝国ホテルで、3月13日に逝去(享年89歳)した元代表取締役会長藤田弘道氏「お別れの会」を開催した。多くの業界関係者が参列し、故人の業績を偲んだ。
藤田弘道氏は、昭和3年3月21日生まれ、静岡県出身。昭和28年3月東京大学経済学部卒業後、同年4月凸版印刷株式会社入社。昭和55年8月に同社取締役に就任後、昭和60年に常務取締役、昭和62年に専務取締役、平成元年取締役副社長、平成2年代表取締役副社長と役職を歴任し、平成3年に代表取締役社長に就任。平成12年6月に代表取締役会長となって第一線を退くも、相談役、名誉顧問として企業の発展を見守ってきた。業界活動では平成7年から平成19年まで日本印刷産業連合会の会長を務め、業界発展に尽力した。平成11年5月には、勲二等瑞宝章を受章している。
お別れの会では列席者が遺影に献花。足立直樹代表取締役会長、金子眞吾代表取締役社長、藤田洋子夫人が御礼の言葉をかけた。会場には藤田氏の歩みが写真で紹介され、故人の思い出を振り返り、その業績を偲んだ。
足立直樹会長挨拶(要旨)
故人は昭和28年に凸版印刷に入社以来、主に営業部門で活躍し、平成3年に社長就任。その後の会長時代を含め20年にわたり凸版印刷の陣頭指揮を執りました。社長就任時の日本はバブル崩壊による多難な時代でしたが、 故人は21世紀には「情報革命」が急速に進展すること、また「グループ総合力」「環境経営」などが重要となることなどを早くから予見し「超印刷」をキーワードに様々な事業分野への進出と拡大を図りました。当社が後に「情報コミュニケーション産業」を標榜した礎はこの当時に築かれたと言っても過言ではありません。また平成7年に日本印刷産業連合会、印刷工業会の会長に就任以来、12年にわたり印刷産業の振興と地位向上に尽力するとともに、日本経済団体連合会や東京商工会議所、経済同友会の要職を歴任し、産業界における労働政策の推進やサービス化・情報化に対応すべく規制緩和や啓蒙活動などを積極的に行い、印刷産業界にも多大な貢献をしました。
「人間尊重」と「深沈厚重」。これは故人の人となりをよく表した言葉です。「人間尊重」は経営方針であり、業績の悪い時こそ社員の元気が大切で、部下の能力を最大限引き出すのが経営者役目であると常々述べておりました。「深沈厚重」は営業課長時代、猪突猛進型の営業活動で倒れ、病床にあった折に読んだ本で出合ったその言葉に共感し、常に冷静に先を見据え、落ちついて動じないことこそ自分の生き方であると悟り、それを座右の銘としました。まさにそのお言葉通り「深沈厚重」に徹した生涯であったと言えましょう。「人間尊重」の考え方は凸版印刷において深く根づいており、私どもはその意思を受け継ぎ、「人財」を活かした社会価値創造企業として存在意義を確かなものとして参る所存でございます。故人が生前皆さまから賜りました数々のご交誼に対しまして、謹んで御礼申し上げます。