モリサワ 邦文写真植字機発明100周年記念パーティー開催、国内外の各界から750人出席、文字の未来を見つめ、文字と共に前進
株式会社モリサワ(森澤彰彦社長)は7月24日、大阪市北区中之島のリーガロイヤルホテル大阪において国内外から750名が出席し「邦文写真植字機発明100周年記念パーティー」を開催した。この日から100年前の1924年7月24日に創業者・森澤信夫氏が邦文写真植字機の特許を出願し、その後石井茂吉氏とともに世界初の邦文写真植字機の実用化に成功、印刷の歴史に大きな影響を与え、その技術の進化を支えてきた。
冒頭に森澤社長は、「ものづくりの天才で機械づくりに情熱を燃やした森澤信夫の『より良いもの、より使いやすいものを社会に届けたい』という想いと魂は、今日のモリサワに脈々と受け継がれている。モリサワは、時代の変化に対応しながら表情豊かな文字の未来を見つめ、文字と共に前進し、時代の変化に対応しながら皆様に表情豊かな文字を提案し続けていく」と邦文写真植字機発明100周年の挨拶を述べた。
また、写研書体のOpenTypeフォント開発、MC-6型写真植字機の再現、津守工場旧社屋復元模型制、邦文写真植字機発明100周年特別サイト開設、甲子園フォントプロジェクト、「モリサワと文字の100年」の刊行、今後の重点事業など100周年記念事業を発表した。
邦文写真植字機100周年記念パーティーは印刷、出版、デザイン、政界、スポーツ、教育、金融、法律界など多方面から750人が出席した。
冒頭に森澤彰彦社長は邦文写真植字機発明100周年記念パーティーの感謝の言葉を述べた後、「今からちょうど100年前の1924年7月24日は弊社創業者の森澤信夫が邦文写真植字機の特許を出願し、石井茂吉氏とともに研究・開発した世界初の邦文写真植字機が世に知れることになる第一歩となり、それは日本における写真植字機の歴史の幕を開ける出来事となった。2024年はそれから100年を迎えた記念すべき年であり、今日までの長きにわたり私共と共に歩み、支援してくださったすべての皆様に感謝申し上げる」と謝意を表明した。
続けて「邦文写真植字機の誕生は15世紀半ばにドイツのヨハネス・グーテンベルグが金属活字を用いた活版印刷術を発明して以来500年に及ぶ印刷の歴史に新たなページを加え、印刷技術の進化を支えた。ものづくりの天才であり、機械づくりに並々ならぬ情熱を燃やした森澤信夫は、より良いもの、より使いやすいものを社会に届けたいという想いを胸に革新を目指して前進し、その魂は、今日までモリサワに脈々と受け継がれている」と創業からの理念を強調した。
さらに森澤社長は「森澤信夫から代表取締役の任を引き継いだ森澤嘉昭も時代の先を読み、革新を恐れず、果敢に決断を下すことにより道を切り開いてきた。森澤嘉昭からバトンを受け取った私は、『文字を通じて社会に貢献する』という社是のもとにさまざまな取り組みを進めてきた」と変革期を述べた。
最後に、「100年を振り返ると、手動写真植字機、電算写植システム、デジタルフォントと提供する商品は変わっても文字を提供することは変わらない。モリサワは文字の未来を見つめ、文字と共に前進し、時代の変化に対応しながら表情豊かな文字を提案し続けていく。一層の支援を賜りたい」と邦文写真植字機発明100周年の挨拶を述べた。
来賓からは日本印刷産業連合会麿秀晴会長代理の添田秀樹副会長とAdobe.Inc会長兼CEOのシャンタヌナラヤン氏から祝辞が寄せられた。添田副会長は「邦文写真植字機発明の背景には金属活字が全盛だった当時、印刷現場では膨大な量の日本語活字を効率的に扱わなければならないという大きな課題があった。そのころ、欧州で考案されていた写真植字技術に森澤信夫氏が着目され、石井茂吉氏と共に研究を重ねられた結果、1924年に7月24日に『写真装置』として特許出願し、世界初となる『邦文写真植字機』に繋がったことは、500年に及ぶ活版印刷の歴史を塗り替えた画期的な出来事であり、その後の印刷工程に大きな変革を起こし、効率化とデザイン表現の広がりを可能とした。創業者の先取の気性を受け継ぎ、印刷工程のデジタル化にもいち早く適応され、機械メーカーからフォントメーカーへと変化を遂げられたその歴史は『文字を通じて社会に貢献する』という社是のとおり、わが国の文字文化と情報コミュニケーション産業の発展に向けて支援と協力をお願いしたい」と祝辞を述べた。
Adobe.Inc(アドビ社)会長兼CEO シャンタヌナラヤン氏のメッセージ
「革新のパートナーシップをさらに発展」
Adobe.Inc(以下アドビ社)会長兼CEO シャンタヌナラヤン氏からメッセージが会場に寄せられた。
「森澤社長、そしてモリサワチームの皆様、アドビを代表して、貴社および貴社の関係者すべての皆様に心から100 周年のお祝いを申し上げます。100周年はタイポグラフィの研究と発展に1世紀にわたり寄与されてきた貴社のコミットメントと日本の情報通信産業における貴社の先駆的な役割を反映したまさに素晴らしい節目であります。
印刷業界のデジタル時代における市場の創造と拡大にご尽力された貴社に深く敬意を表します。写真植字機の発明は業界を一変させ、フォントデザインの可能性を飛躍的に広げました。貴社のデジタル時代への献身的な取り組みはタイポグラフィの未来を形作る大きな原動力でした。また、弊社アドビの進化において貴社とのパートナーシップが重要な役割を果たしました。1987年の日本語ポストスクリプトフォントの共同開発・販売契約は貴社と弊社の数十年にわたる強力な協力関係の始まりでした。貴社とアドビがDTPの事実上の業界基準として築き上げた強固な基盤は革新と卓越性に対する二社共通のコミットメントの証です。私にとって長年にわたる日本訪問で最も楽しい思い出のいくつかは貴社の皆様から受けた温かいもてなしでした。
このような個人的なつながりが、貴社とのパートナーシップを強固にし、真に特別なものにしてきたのです。この素晴らしいパートナーシップが今後も続くことを楽しみにしています。貴社と共に多くのことを成し遂げてきましたがこの先にはさらに大きな可能性があると確信しています。革新と協力の旅を共に続けていくことを楽しみにしています。改めまして、この記念すべき日にお祝い申し上げます。貴社のレガシーが、これからも世代を超えてインスピレーションを与え続けますように」
この後、乾杯の鏡開きが行われた。壇上には森澤彰彦社長、日本印刷産業連合会の添田秀樹副会長、日本印刷技術協会網野勝彦会長、全日本印刷工業組合連合会瀬田章弘会長、日本グラフィックコミュニケーションズ工業組合連合会錦山慎太郎会長、日本グラフィックサービス工業会岡本泰会長、日本グラフィックデザイン協会永井一史会長、衆議院議員西村康稔氏、アドビ(株)の中井 陽子社長、㈱写研笠原義隆社長、モリサワ会前川光会長、㈱三菱UFJ銀行早乙女実副頭取、シーズアスリート浦田理恵氏、久金属工業(株)久義裕社長が登壇。西村康稔衆議院議員が「邦文写真植字機発明100周年をお祝いする。私は明石市と淡路島が選挙区で、森澤社長とは明石市の中学校で1年後輩という関係でもあり、新しい時代にチャレンジする新モリサワさんの発展を祈念する」と乾杯の発声を行った。
森澤彰彦社長は各テーブルを回り、国内外の出席者とともに邦文写真植字機100周年を祝うとともに「文字を通じて社会に貢献する」という使命を披露し交流を深めた。
日本グラフィックデザイン協会永井一史会長
「文字はグラフックデザインの根幹を成す」
最後に公益社団法人日本グラフィックデザイン協会永井一史会長は「文字は人に伝達するためのコミュニケーションツールであると同時に、存在そのものが文化です。長い歴史の中で培われた日本独自の複雑な文字体系である漢字、ひらがな、カナ、場合によっては英文が日本の造形的な美意識と合わさることで、たくさんの優れたグラフィックデザインを確立する力となった。多様なフォントの選択はデザイナーが意図する選択やメッセージを伝えるのに不可欠で、場合によっては文字を変形させたり、何かを削ったりすることで、デザイナーならではのアイデアや個性を表現する。文字はグラフックデザインの根幹を成す要素であり、デザイナーにとって文字を巧みに操る技術はこれからも変わることのない重要な要素職能です。この先の未来もグラフィックデザインは文字をベースにしながら社会全体に新たな価値やさまざまな表現を生み出していく。モリサワは革新的なフォントや卓越したサービスを提供し続け『文字を通じて社会に貢献する』という使命を果たし続けることに違いない」と中締めの挨拶を行った。
森澤嘉昭相談役の登壇に多きな拍手
「100周年ありがとう」
記念パーティでは森澤嘉昭相談役が最後に登壇した。森澤嘉昭相談役には挨拶の行列が続き、多くの国内外のユーザーと交流した。森澤嘉昭相談役は「今日は多くの方々から懐かしい話を聞かせて頂き、嬉しかった。これでしばらくは長生きできる。100周年という記念すべき日を迎えられたのは皆様のおかげです。ありがとうございました」と力強く感謝の言葉を述べ、会場から大きな拍手が贈られた。